念願の美濃を手に入れた信長の城
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(ぎふじょう)
●場所:岐阜県岐阜市天主閣
●旧国郡名:美濃国 厚見郡
●別名:旧稲葉山城
●種別:山城
●築城時期:1201年(建仁元年)
●築城背景:
鎌倉時代、幕府官僚の二階堂行政が稲葉山山頂の砦として築城。
●名城: 日本100名城  
●主な城主:
二階堂家、斎藤利永、長井長弘、斎藤道三、斎藤義龍、斎藤龍興、織田信長、織田信忠、織田信孝、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、織田秀信(三法師)
●天守:3重4階天守
●主な遺構:石垣、土塁
●主な再建物:天守
●交通:ぎふ金華山ロープウェイ 山頂駅 徒歩約7分
●駐車場:岐阜公園の有料駐車場
●徒歩・登山:
駐車場~徒歩3分~ロープウェイ山麓駅~ロープウェイ5分~ロープウェイ山頂駅~徒歩7分~本丸
<個人評価>
総合◎ 遺構◎ 再建整備◎ 知名度◎ アクセス歩7分
●構成:
美濃国南部、眼下を長良川が流れる、標高328mの金華山山頂に築かれた山城。
山頂には3重4階の御殿風の天守があった。
また麓の千畳敷と呼ばれる台地に、信長自慢の4階建ての御殿が建てられた。
●現状:
ロープウェイ、もしくは徒歩で登ることのできる金華山山頂に、3重4階天守が再建されている。
御殿のあった千畳敷部分は、発掘により土塁や石垣、階段、水路などが発見されている。
●略歴:
 ●稲葉山砦
1201年
鎌倉幕府官僚の二階堂行政が稲葉山山頂の砦として築城。
その後廃城に。
(中略)
 ●稲葉山城
15世紀中頃
美濃国守護代の斎藤利永が修築し、居城に。
(中略)
1525年
長井長弘と長井新左衛門尉の謀反により、斎藤家が城を追われる。
1527年
美濃国守護土岐頼芸の家老、西村正利(斎藤道三)の本拠に。
1538年
斎藤氏を名乗った斎藤道三、美濃国守護代に。
1542年
斎藤道三が、主家である土岐頼芸を攻め一時追放するがその後和睦。(大桑城の戦(第一次))
1547年
斎藤道三、大桑城の土岐頼芸を攻め追放し、美濃国守護となる。
1548年
斎藤道三、争っていた尾張国の織田信秀の嫡子織田信長に、娘の濃姫(帰蝶)を嫁がせ和睦。
斎藤道三、嫡子斎藤義龍に家督と城を譲り、鷺山城に隠居。斎藤道三と名乗る。
1556年
長良川の戦で、斎藤義龍が父の斎藤道三を討つ。
1561年
斎藤義龍急死。子の斎藤龍興が城主に。
1564年
家臣の竹中半兵衛、謀略により城を一時のっとるが、返却。
1567年
織田信長に攻められ落城、斎藤家は滅亡。(稲葉山城攻め)
 ●岐阜城
織田信長により岐阜城と改められ、信長の居城に。
1576年
織田信長が隠居し、家督を継いだ子の織田信忠が城主に。
1582年
本能寺の変後、織田信忠の家臣斎藤利堯が一時城をのっとるが降伏。
清州会議の結果、信長三男の織田信孝が城主に。
その後、織田信孝が柴田勝家と組んだことから豊臣秀吉(羽柴)に攻められ、織田信忠の遺児、三法師を引き渡す。
1583年
賤ヶ岳の戦で柴田勝家が敗北すると、兄の織田信雄に攻められ降伏。その後織田信孝は切腹。
美濃国を拝領し大垣城主となった池田恒興の子、池田元助が城主に。
1584年
池田元助が、小牧・長久手の戦で父池田恒興とともに戦死。
弟の池田輝政が城主に。(13万石)
1591年
池田輝政の三河国吉田への転封により、豊臣秀勝(秀吉の甥)が城主に。
1592年
豊臣秀勝、病死
織田秀信(三法師)が城主に。(13万石)
1600年
関ヶ原の戦の直前、織田秀信は西軍についたため、東軍の福島正則、池田輝政らに攻められ落城。
1601年
岐阜の本拠が加納城に移されため廃城。